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私とカウンセリング カウンセリングとは?[資料&語録編]その他の論文集リンク集


私とカウンセリング

文:山本伊知郎(2003年7月26日)


■はじめに

 以下に掲載するのは、機関誌『カウンセリング研究 VOL.20』(日本カウンセリング・センター発行)に投稿した私(管理人)の手記です。
 カウンセリングと出会うようになるきっかけから、現在に至るまでの私の個人的な体験記ですが、「カウンセリングに志す人たちにとって、ほんの少しでも何かの役に立ってくれるのなら……」という思いで、このコーナーに転載することにしました。



■私のうつ病体験

(1)きっかけ

 10年ほど前のことになりますが、当時勤めていた会社で開催されたサッカー大会で私はケガを負い、約1ヵ月間の入院生活を余儀なくされました。会社ではかなり責任の重い仕事を任されていたこともあり、「早く退院して仕事に戻らねば!」という強い焦りと同時に、心のどこかでは「ああ、寝ているだけで何もしなくていいんだ……。なんて気楽なんだろう」というような、幸福感も密かに感じてました。当時の仕事は異常なほど忙しく、土日だけ家に帰ってあとはずーっと会社で寝泊まりする、なんてことも珍しくないほどだったので、普段はじっくりとできない考えごとをしたり、いろんな悩みに思いを巡らすようなことも、よくやっていたように記憶しています。
 退院してすぐに出社したのですが、どういうわけか不思議なくらい力が出ません。入院中はあんなに強く「早く仕事に戻りたい!」と念じていたにもかかわらず、いざ仕事に面してみると、とてもとてもしんどいのです。入院前はスイスイこなしていた業務が、耐え切れないほどの激務に感じてしまうのです。
 ほどなくして仕事はおろか、会社に行くことすらできなくなりました。いわゆる「出社拒否」です。毎日数時間おきに電話が鳴るのですが、「たぶん会社からだろう」と思うと出られなくて布団をかぶってました。頭では「何をしてるんだ俺は!? 会社に行かなくちゃ! 俺のせいでみんなに迷惑をかけちゃいけないだろ!」と思うのですが、心は「行きたくない! 何もしたくない!」と言い、と同時に体は「腹減った〜メシよこせ〜」などと、勝手なことを訴えてきます。自分で自分をどうすることもできず、なんだか自分が3つに分解していくような、何とも言えないひどい感覚でした。
 「このままではいけない。何とかしなければ!」と、藁をもすがる思いで近所の神経科クリニックへ足を運びました。自分の症状を一通り訴えると、「それは大変ですねえ。精神安定剤と抗うつ剤を出しておきましょう」と、主治医に言われました。「抗うつ剤」という言葉を聞き、私はそこで初めて自分が「うつ病」であると知ったのです。当時の私は心理学とか精神的な病や障害などにはまったく興味も関心もなく、「うつ病」という言葉は知ってましたが、まさか自分がそんな病気になるなんて想像もできなかったので、病識などぜんぜんなかったのです。
 主治医との面談を終えたあと、すぐに別室のカウンセリングルームに通されました。「さっき話したことを、なんでまた話さなきゃならないんだ?」という疑問を感じつつも、カウンセラーに自分の症状などを訴え終えて部屋を出ると、明らかに気分が良くなっていました。
 それからしばらくの間、会社に行ったり休んだりを繰り返しながらクリニックに定期的に通っていたのですが、そのカウンセラーとの何度目かの面接中に、とてつもない虚しさを感じました。カウンセラーのある発言(質問)を聞いた瞬間、私の目にはそのカウンセラーの姿が、まるでベルトコンベヤー式に次々と運ばれてくる患者を処理してる作業員のように映ったのです。「俺はこんなに真剣に、命がけで話しているのに、この人はただその場しのぎの応答をしてるだけなんだ……。俺のことを何も理解してなかったんだ……」。そう思うと怒りを通り越して悲しくさえなりました。
 数週間後、会社からクリニックに電話をかけ、そのカウンセラーに「もうすっかり良くなって社会復帰できるようになりました。どうもありがとうございました」と、できるだけ明るい声で嘘を言って、そのクリニックとは縁を切りました。
 薬は最初は言われたとおり服用していましたが、そのうちなんだかバカバカしくなって、その頃はもうやめていました。薬を飲むと気分がフワ〜っとなって思考力が低下し、眠くなってきます。それはそれで気持ちはいいのですが、こんなもので病気が治るとはとても信じられませんでした。薬を飲むというのは、酒に酔って気分が良くなるのと同じにしか思えなかったからです。「根本的な問題は私の人生にあるのだ。人生における諸問題に手を付けない限り、この病気が本質的に治るわけがないのだ」と、当時の私は認識していました。当たり前のことですが、人生における問題を、薬や酒が解決してくれるわけなどないのです。こういう発想は、医者に言わせれば「素人考え」になるのでしょうが、当時の認識に誤りはなかったと、私はいまでも思ってます。


(2)自殺願望

 薬とカウンセリングに縁を切ると、私の状態はますます悪化し、近所のコンビニで弁当を買う以外はほとんど外に出られなくなりました。ある日、会社の上司が家にやってきて、「新しい部署を作ることになったので、お前にそこの責任者を引き受けてほしい」と言われました。その上司にしてみれば、「早く元気になって仕事に戻ってきてほしい! そのために俺はわざわざ新しいポストを用意したんだぞ!」という思いで、ひとつの賭けに出たのに違いありません。もしそうなれば、何人もの先輩を飛び越しての大抜擢です。そこまで自分を大事に思ってくれていた上司の心に私は感激しましたが、しかし同時に、心の底は冷たいまま何の反応も示さないことにも気が付きました。それまでは「早くなんとかして仕事に復帰せねば!」という一心だったのですが、ここで初めて「ああ、俺はもうだめなんだな」と悟りました。その新しい仕事に対して、情熱やエネルギーがまったく湧いてこない自分がわかったのです。
 それだけでなく、「長い間、会社のみんなに迷惑をかけたから責任を取りたい」という思いと、「いままでの人生をぶち壊して、劇的な変化を起こさなければもうだめだ」という思いで、会社を辞める決心をしました。
 「仕事を辞めて重圧から解放されれば、何か良い変化が起こるかもしれない」という私の期待は、しかし簡単に裏切られました。会社を辞めると自分に対する否定感と嫌悪感はよりいっそう強まり、逆に状態は悪化しました。まったく予想してなかったのですが、仕事人間だった私は、仕事を失うと同時に自分の存在意義をも失ってしまったのです。
 どうしてそうなってしまうのか、いま思うと不思議でしょうがないのですが、うつ病になると考えたり思い煩う行為がやめられなくなり、しかも何を考えても最終的な結論は「……だから私は最低の人間だ」となってしまうのです。目が覚めてから眠りにつくまでの間、一日中そんなことをしているのですからたまりません。それはかつて経験したことのない、とても表現しようのない、ひどい苦痛でした。
 そんなある日、眠りから覚めてこう思いました。「あ〜あ、また目が覚めてしまった。憂鬱だなあ。このまま一生眠り続けられたらどんなにいいだろう」と。次の瞬間ふとヒラメキました。「そうか! 死ねばいいんだ。そうすればずっと眠り続けられるじゃないか!」と。そして「どうしてこんな簡単なことに、いままで気が付かなかったんだろう? 俺はバカじゃないのか?」と、自分のバカさ加減にいささか呆れながら、うれしくなって小躍りしてしまいました。一筋の光明がようやく見えてきたのです。


(3)神秘体験?

 数日後、どうやって自殺するか、その方法を具体的にあれこれ考えながら、ふと自分が死んだ後の世界を想像してみました。両親と妹が、葬式で私の亡骸を前に泣いてます。親戚のおじさんおばさんもいます。会社の上司や仲間、学生時代の友人、好きだった女の子も、みんなうつむいて悲しげな顔をしています。そして同時に、そういう想像に対してまったく違和感を感じてない自分に違和感を覚えました。普通なら「バカげてる」と感じるはずの想像をリアルに感じてしまう自分が、なんだか奇妙に思えました。「間違いない。俺は死ぬんだ。死の方向に確実に動き出しているんだ!」と、不思議なくらい冷静に、まるで他人事のように、そう確信しました。
 次の瞬間、頭の後ろのほうで声がしました。「あなたには、まだやるべきことがある」。「えっ?」と思って振り向きましたが、誰もいません。「気のせいか……」と思って前を向くと、再び「あなたには、まだやるべきことがある」と声がします。しかし、そのときの私にはもうこれ以上生きる意味なんてないし、やるべきことが何もないから死のうとしているわけで、ですから少々腹を立てながら、その声に向かって問い返しました。「だったらそのやるべきことって何ですか? 教えてくださいよ!」と。しかしそれっきり、その声は何も答えてくれませんでした。
 返答がないのでがっかりしながら、ふと思いました。「いや待てよ。ひょっとすると声の言う通りかもしれないぞ。俺はやるべきことなんて「ない」と思っていたけど、じつはまだ「知らない」だけなんじゃないのか?」。そう思ったとたん、後頭部をハンマーで殴られたような、ドカーンという衝撃がきました。
 「そもそも『自分は最低の人間だ』とか『自分を殺したい』とかいう意識を働かすことができるのは、『命』があるおかげではないのか? 『命』という土台がまずあって、それが『自殺したいと欲すること』を可能にしてくれているのだから、意識のほうが『命』を殺すのは本末転倒ではないか? 俺はなんというエゴイスティックな人間だったのだ!」と悟りました。自分が恥ずかしくなりました。と同時に、
 「俺は自分のことを世界中で最低の人間だと思っていたけど、ほんとうは人間に優劣などなかったのだ! 『命』のレベルでは、自分も含めてすべての人が同じだったのだ。優劣があるように思ってしまうのは、表面的なところしか見えてないからだ。いや人間だけじゃない。地球上のあらゆる生命に優劣はなく、ほんとうはみな同じひとつの『命』だったのだ!」と悟りました。そして自分が溶けていくような感覚とともに、地球との、あらゆる生命との一体感を味わいました。それは後にも先にも経験したことのない、ものすごいエクスタシー体験でした。
 この体験のあと、「エゴイストはもうやめよう。自分の生死を自分で決めるのはもうよそう。どうせいつかは必ず死ねるんだから、それがいつかは神様に決めさせればいいじゃないか」という心境になり、この瞬間から死から生への方向転換が起きたように思われます。


(4)禅思想との出会い

 読者の中には「この体験によってすべてカタがついたのだろう」と思われる方がいるかもしれませんが、じつはそうではありません。あっちの世界からこっちの世界に戻ってくると、再び「我」が働き出しました。元の木阿弥です。
 いまでこそ、この種の体験は特に珍しいものでもなく、仏教のいわゆる「悟り」と同種のものであると知ってますが、当時はそんな知識があるわけありません。ですから自分のあの体験が何なのか、まったく見当もつかなかったし、世間一般の常識的な見方とはまったく違うように、正反対に世界が見えてしまったわけですから、ものすごい不安に襲われました。「俺はついに気が狂ってしまったか。これで精神病院行きかもな」と、本気でそう思いました。
 この不安を解消するために、私は片っ端から精神系の本を読み出しました。「どこかに自分がしたのと同じような体験が書かれてないだろうか?」という思いで、あらゆるジャンルの本にアタックしました。のちになってカウンセリングの世界に足を踏み入れたのも、「あの体験が何なのか、はっきりさせたい!」というのが動機の一部だったのです。
 いろいろと読んだ中で、『東洋思想』、『人間性心理学』、『量子力学(ニューサイエンス)』などが私の興味・関心を引きました。中でも私の感覚に一番フィットしたのは『禅』でした。と言っても最初はなにがなんだかさっぱりわからなかったのですが、あるときふと「あ、そうか。宗教なんだから論理的な思考法でわかるわけがないじゃないか。理屈でわかろうとする俺がバカだった」ということに気付き、それから親しむことができるようになったのですが。
 『禅』の本を読んでいると、しばしば腹の底のほうが熱くなるような感覚を覚えました。禅的なものの見方や生き方には、他の宗教や古い心理学にはない、なにか「救い」のようなものがある気がしていました。
 しかし、だからといって心が完全に晴れるというわけでもなく、私は常にひとつの大問題を抱えていました。「俺はこれから何をやって行けばいいんだ? どういう方向に向かって歩いて行けばいいのだ? あの声が言ってた「やるべきこと」って何だろう?」という疑問が頭から離れず、何をやってもしっくりこないのです。カウンセリングと出会うまで、それから約2年もの歳月を要するのですが、その間の私は歩くべき方向が定まらず、世間をフラフラとさまよってるような状態でした。



■カウンセリングとの出会い

(1)入門講座

 平成8年の秋、私は(財)日本カウンセリング・センターの『カウンセリング入門』を受講しました。その数ヵ月前、ある就職情報誌を読んでいたところ、たまたま『カウンセラーの仕事とは?』という題のコラムが目に入ってきたのです。読み終えたあと全身が熱く震えました。「これだ! 俺が探してたのはこれだったんだ! カウンセラーになろう!」。そして文末にあった日本カウンセリング・センターの連絡先に電話をかけ、さっそく資料を取り寄せました。「カウンセラー」という言葉に、私がいままでにしてきた経験のすべてが結びついたのです。
 入門講座の初日、私は「いまの世の中には、もっともっとたくさんの有能なカウンセラーが必要なのだ。そしてそういうカウンセラーに、自分自身がなるしかないのだ!」という強い意気込みと期待を胸に、センターの教室に入りました。がしかし、そのような思いはすぐに簡単に砕け散りました。受講者がほぼ全員そろっているところに最後に世話人が入ってきて、開口一番「どうぞ、ご自由に」と、その場に向かって言ったのです。
 私は目が点になりました。他の参加者もみな、驚きと動揺と困惑を顔に表わしていました。当時の私はカウンセリングに関する知識などまったくなく、「カウンセリングっていうのはアメリカの映画やドラマでよく見る、患者がセラピストの前のソファーで横になっていろいろ語る、アレだろ?」と思ってました。(それが『自由連想法』だと知ったのは、ずいぶんあとになってからのことです)。ですから、てっきり「パリっとしたスーツを着た大学教授のような人が、専門的な心理学の講義をしてくれるのだろう」と思い込んでいたのですが、その世話人は小汚い服装に裸足でサンダルを履き、ぺたぺたと歩いてました。しかも講義をする様子など、まったく見せないのです。私の期待は完全に裏切られました。
 しばらくして受講者全員が自己紹介をすることになりました。順番は決めないで話したい人が話し出す、という方法でやっていったので、ひとりが話し終えるとしばらくの間教室がシ〜ンと静まり返りました。とても滑稽に見えました。「あーバカバカしい。こんなことして何の意味があるんだ? もう来週からは来るのをよそう。時間の無駄だよな」と、私は心の中でつぶやいていました。強い疑問と憤りを感じました。
 講座の間中、ずーっとふてくされていた私は、「早く終了時間にならないかなあ」と、半ばあきらめの心境でその時間をやり過ごしていました。ところが終了直前に世話人が、「ほんとうに自由でいいんですよ。話したければ話せばいいし、話したくなければ話さなくていいんですよ」と言ったのを聞いた瞬間、私の中で衝撃的なことが起こりました。「いままで俺は自由って何なのか、自分はわかってると思っていた。でも自由って何だ? そんなこと、生まれてから一度も考えたことないぞ。自由って何なのか、ほんとうは俺はなんにもわかってないじゃないか!」という自分に気付いてしまったのです。
 センターからの帰り道、私は茫然としながら、ひとりでそのことを考え続けました。そのこととは「自由とは何か?」ということではなく、「どうして30年間まったく気が付かなかったことに、あのたった2時間半の講座で気が付いてしまったのか?」ということです。しかし、いくら考えてもまったくわかりません。ふと我に返ると、2駅も電車を乗り過ごしていました。
 「カウンセリングというものには、なにかとてつもない秘密が隠されているに違いない!」。そう確信した私は、その秘密を探るべく、急速にカウンセリングの世界にのめり込んでいったのです。


(2)講座中心の生活

 それからの私は、まるで何かに取り憑かれたかのように熱心に講座に通いました。カウンセリングの世界に身を置いてると、まるで水を得た魚のように生き生きと活動的になり、エネルギーが湧いてくる自分を発見しました。
 大半の人(とくに勤めがある人)の場合は、仕事の都合を優先しながら講座に通っているものと思われますが、私の場合はまず講座を選択し、それに合わせて勤務時間や曜日などの条件が合う仕事(アルバイト)を探しました。いくつものアルバイト先を渡り歩きながら、一時期は週に3回センターに通い、なおかつ亀山山荘で開かれる土日合宿にも月1〜2回は参加しました。お金が無くなったら親に無心することも平気でやっていました。いま思うと、まったく呆れてしまうほどの熱の入れようでした。
 「自己受容」という言葉がありますが、『体験学習』の講座に通っていたとき、「生まれて初めて自分のことが心から好きになれた」という体験にも恵まれました。それはとても言葉にできないほどの感動と興奮と狂喜の体験でした。そしてこのときから「カウンセラーって、なんて素晴らしい仕事なんだ! 私もカウンセラーになりたい!」と、本気で思うようになりました。
 『ミニカウンセリング』の講座には約2年間通い続けました。その頃には「カウンセラーは面接場面で、どのような仕事をなすべきか」ということを一応は理解していましたが、しかし実際やってみるとなると「そう簡単にできるものではないんだなあ!」と痛感させられました。
 いまでも2ヵ月に一度くらいは行ってますが、亀山山荘の土日合宿講座にもよく足を運びました。初めて参加した講座は『蕉風俳諧』でした。どんなことをする講座なのか、なんの予備知識もなかったので最初はとまどいましたが、ただただひたすらに苦心しながら、生まれて初めて「句づくり」というものを体験しました。初めて耳にする専門用語(?)がたくさん飛び交う中、ただもうその場について行くことだけが精一杯で、そこで話し合われている内容など、ほとんど理解できてなかったような気がします。
 言うまでもなく、私の作った句など一つも採用されませんでした。でも、最終日の終わりに半歌仙が出来上がったとき、なんとも言えない場の一体感と、やり終えた達成感と、「初心者の自分でも学習会に参加できた。たしかに自分も場に貢献できたんだ!」という充実感を味わうことができました。きっと私は深く感動していたのでしょう。講座終了後、なぜだか涙があふれてきました。
 『俳諧』と聞くと、「とても難しいものだ」とか「私にはとても句を作る能力なんてない」などと思って敬遠してる方がいるかもしれませんが、「その場を感じる心」とでも言いますか、それさえあれば、じつは誰でも楽しめるのものではないでしょうか? むしろ特別な知識とか経験とか能力とか、そんなものはないほうが、「楽しむ」という点で言えばいいように思うのです。そしてこのことは『俳諧』だけでなく、他のすべての『カウンセリング講座』にも当てはまるような気がしています。


(3)友田先生との出会い

 友田先生とはこの『蕉風俳諧』が初対面でした。それまでに著書を多少読んでいたので自分なりの人物像は持っていたのですが、実際は想像と違って「まるで幼児みたいな人だなあ(笑)」というのが第一印象でした。講座中のある場面でたまたま先生のそういう動きを見てしまい、私は思わず笑ってしまったのですが、しかし同時に「自由な人っていうのは、ここまで自由になれるものなのか!? すごいなあ……」と、深く感心させられました。
 そしてまた、友田という人物に出会ったことによって、私は自分の未熟さを自覚することもできました。それまでの私は『東洋思想』や『禅』には多少の心得があったし、目白の『カウンセリング講座』でも同期の仲間たちと比べればカウンセリングに対する理解は深かったし、「自分はかなり優秀な人間だ」と思って自信満々でした。
 いま思うとほんとうに恥ずかしいのですが、あるときなど、友田先生が書いた文章(たしか講座の案内だったと思います)の中に『暗在系』という言葉を見つけ、ビックリすると同時に、「この友田っていう人は勉強家なんだなあ。カウンセラーのくせに物理の専門用語を知ってるなんて立派な人だなあ。褒めてやりたいよ」と、思ったことがあるくらいです。
 ところが実際に会って直に触れてみると、私など足元にも及ばないことがわかりました。なにか「格の違い」というか、「人間のレベルの違い」というか、そういうある種の恐ろしさのようなものを体で感じました。これを「畏敬の念」と呼ぶのでしょうか? 他人に対してこんな感覚を覚えたのは、生まれて初めてのことでした。
 しかも先生の発言はもちろんのこと、その場で話し合われていることさえも、ほとんどちんぷんかんぷんな状態でした。ある程度自信があっただけに、それはショックでした。先にも書いた通り、たしかにフィーリングの世界では楽しさや感動を味わいました。でもそれは、決して十分な満足ではありませんでした。それと同時に自分の力のなさやレベルの低さに、とてもくやしい思いをしたのですから。しかし幸いにも私はそんなことにめげることもなく、「くそー! 俺だっていつかは、もっともっとわかる人間になってやるぞ!」と逆に発奮して、その後も亀山山荘に通い続けることになったのです。
 ふと思ったのですが、もしもこの出会いがなかったら……。私は謙虚に自己を省みることもなく、自信満々で独善的なカウンセリングに走っていたかもしれません。「カウンセリングっていうのは奥が深いんだなあ。簡単にわかるものでも、できるものでもないんだなあ。カウンセラーになるってのは、すごくすごく大変なことなんだなあ」というふうに、このときの私はそれまでの思い方を全面的に修正することを余儀なくされたのです。



■初めての面接経験

 3年ほど前のある晩、講座で知り合った友人から電話がありました。「いまとっても困っている。私のカウンセラーを引き受けてくれないか?」という依頼でした。思いがけない話に、瞬間私は戸惑いました。そのときの私は『ミニカウンセリング』の講座でカウンセラー役を何度か経験してはいましたが、本物の1時間の面接など経験がなく、その人の役に立てられる力が自分にあるのかどうか、まったく自信がなかったのです。
 かといって、その人の心情を察すると断ることもできず、電話口でしばらく迷っていたのですが、ふと『ミニカウンセリング』で世話になった先生の言葉が脳裏をよぎりました。「みなさんも、いつか誰かにカウンセラーを頼まれることがあるかもしれません。そのときは、たとえ自分の力に自信がなくても引き受けるべきだと思いますよ」。その言葉に背中を後押しされ、私はその依頼を承諾しました。「そうだよな。できるようになってからカウンセラーをやろう、などと思っていたら、一生できないのと同じだもんな。いまの自分にできることをできる限りやってみよう!」と自分を奮い立たせて、私は腹を決めました。
 面接当日、かつて経験したことがないほどの緊張感と重圧感を感じながら、私は面接場面に臨みました。自信がなかっただけに、面接中はただもう一生懸命なだけだった気がします。面接が終わると、家に帰ってすぐに逐語記録を作りました。案の定、それは相当ひどいものでした。
 ところが、にもかかわらず私はすごく落ち込むわけでもなく、むしろ喜びが心の底からこみ上げていました。「俺はこの世界でやっていける!」という確信が持てたのです。その面接中、私はお腹の中心あたりになにか温かい快感のようなものを感じていました。「そうか! 私はこういう話し合いが、友田先生の言葉を借りれば『膝を交えた話し合い』が好きなのだ! 私はそういう人間だったのだ!」ということが、このとき初めて自覚できたのです。
 それまでの私には、「何年も講座に通っていながら、もしも自分が実際にカウンセラーを経験したとき、「いやだなあ」とか「つまらないなあ」と感じてしまったら……私がそういう人間だったらどうしよう? これまでのすべてがパアになってしまうじゃないか!?」という漠然とした不安が、心のどこかにありました。それが払拭されたのです。
 しかし、かといっていつまでも喜んでいられたわけではありません。私とのカウンセリングが、その人にとってはきっと何かの役に立っていたのでしょう。不定期にですが、結局その後も10回以上の面接が続きました。1回目の面接で「ハイ、さようなら〜」となってしまうならともかく、続くとなるとむしろ余計に、「このままではイカン! なんとかその人の役に立てられる人間にならなくては!」という思いが強まり、私は急いで『監督実習』の講座に申し込みをしました。
 『監督実習』で私は、そのときの自分の実力というものを痛感させられました。自分では自覚できないところを世話人や仲間たちに指摘されていくと、頭がボーっとなってしまって、なんだか自分がそこに座って存在している感覚が薄れていくような感じがしました。「テープに録音してしまうと面接中の自分がどういう人間なのか、誤魔化すことができないのかー!?」ということがよくわかりました。講座終了後の帰り道では、足元がおぼつかない状態でフラフラになりながら帰りました。頭の中は真っ白になり、目はうつろに足元をぼんやりと見ていました。まったくそれは、それまでの『カウンセリング講座』では経験したことのない、最悪の体験でした。
 それでも私は、カウンセラーとしての自分に対する不満がよっぽど強かったのだと思いますが、その後もしばらくの期間(その友人との面接が終わるまで)その講座に足を運びました。『監督実習』に行ったおかげで、たぶん私は自分の中のなにかが変わったのでしょう。その後の自分の面接テープを聞くと、明らかに違いがわかりました。もっとも、そんなことですぐに「話が聞けるようになる」とか「気持ちが聞けるようになる」なんてことが、実際あるわけがありません。でも、少なくとも「カウンセラーとしての基本的な態度・姿勢を身に付ける」という点では、現在の自分にとって非常に役立っていると確信しています。



■この10年を振り返って

 こうして過去を振り返ってみると、なんだか不思議な感じがするのを否めません。「私には、自分を超えたなにか大きな力のようなものが働いていて、ある方向に私を向かわせようとしているのだ」というふうにしか思えません。
 その結果、現在は友人とふたりで自宅に設けたカウンセリングルームを運営するまでに至りました。しかし、もしもこれまで述べてきた経験のうち、どれかひとつでも欠けていたら……現在の私はなかっただろうと思うのです。
 「人生は一冊の問題集だ」という言葉を聞いたことがありますが、その問題というのは、じつはプレゼントではないでしょうか? それが手を変え品を変え、あるときは『うつ病』というかたちで、あるときは『カウンセリング講座』の場となって、またあるときは『クライエント』の姿になり、私のところに贈られてきたのではないでしょうか?
 カウンセリングの世界では「自立する」ということが、なにか価値あるもののように思われていますが、もしもこれが「自分で立つ」という意味なら、私は必ずしも賛同できません。私など「自分で立ってる」ような気がしないし、ましてや「自分の力で人生を切り開いてきた」などとは、とても思えないのです。「私はただ運がよかっただけなのだ」としか思えないのです。
 と同時に、「私だけが特別に運がいいのだろうか?」という疑問も浮かびます。「ほんとうはすべての人の上に、人生からプレゼントがやってきているはずだ」と、私は固く信じています。ただ、そのことに気が付かないのは、自分では知らず知らずのうちに、やっきになってその贈り物を排除しようと行為しているからではないでしょうか?
 ところで、こうしたことをあれこれ考えていると、同時に次のような新たな疑問がいろいろと浮かんできます。
 「『自分』と呼んでるこの存在はいったいなんなのか?」とか、「どこからどこまでが『自分』で、どこからどこまでが『他』なのか?」とか、「『自』と『他』を区別する働きは自分の脳がやってるに過ぎず、そういう認識のしかたは人間の脳の特性に因るのではないか? 人間の脳(知性)には限界がないと言い切れるだろうか?」とか、「我々が『神』とか『自分を超えたなにか大きな力』と呼んでいるものは、ひょっとしてプロジェクションではないか?」とか、「近い将来、『自分』という言葉の定義を書き換える必要が生じるか、もしくは定義すること自体が不可能になるのではないか?」などなど、と。
 これらの非常に興味深い問いに対し、現在の私は十分に説得力のある明確な解答を持っておりません。ですから、これらの疑問はきっと、これからの私にとっての課題(プレゼント)のひとつになるのではないかと、いまはそう思ってます。


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